2005年10月28日

祈るということ

自分以外の誰かのために祈るときのあの気持ち。
目を閉じて手を合わせる。心の中で呟く言葉。
そうと意識はせずとも、その瞬間は真っ直ぐで単純で無防備だろう。
偽善とか邪な感情が横切って行くかもしれないが、
それは多分再び目を開けてからの話。
閉じて心の中の一点を見つめているときは、強固で絶対だ。
きっと誰もがそうだろう。

もう何年も復帰を待ちわびている人がいる。
あの人の仕事が大好きだった。作品もたくさん持っている。
あるとき大事故に遭われ、それ以来新しい作品は届かなくなった。
時折伝わってくる消息の中にも、残念ながらそういった話はない。
もしかしたら作品はもう届くことはないのかもしれない。
充分わかった上で祈る。思い出すたび、何度でも祈る。
最早作品云々でなく。

窓辺で外を眺めるにーすけの背中に覆いかぶさり、
されるがままなのを良いことに、背中を撫で、喉をくすぐり、肉球を確かめる。
肩の辺りに顔を埋めて深呼吸。干した布団のような匂いだ。
あんなに小さかった子猫が大人になった。きちんと育ってくれた。
柔らかな体。命というものの強さと不思議さ。
にーすけと出逢わなければ知ることすらなかった。
彼の幸せだけを思う。

今はもう会えない人たち。
過去に残し合った傷が大きくて鮮やかだと、
祈る気持ちまでもが強くなるのはなぜだろう。
行き場のない恨み言に窒息しそうになっていたことも確かにあったのに、
思い出す今は色で言えば柔らかなベージュだ。
一生会えなくても幸せでいてほしい。
何があっても生きていてほしい。

言霊というのは確かにあるだろう。
人を謗る言葉は負の力が強く、口にした本人にも跳ね返って来そうだ。
おまけに真っ直ぐに届くわけではなく、
対象を侵食するかのようなじわじわとした効き目のような。

その対極が祈りの言葉だと思う。誰が誰に対して祈ろうと同じ。
もし見えるなら、その口からは透明で強くて綺麗な、
例えるならダイアモンドみたいな物質が、ポロポロと零れているに違いない。

昨夜車に乗りながら、古ーいテープを聴いていた。
タイトルも失念するほど昔に録音したもので、
かかっていたのはUAだった。愛について歌っていた。
信号待ちのとき、暗闇に浮かぶライトやブレーキランプを
ぼんやりと眺めながら思った。

祈るということ。愛情を形にするにはどうすれば良いか。
届けても届けても全然足りないと思えるのは形がないからで、
ならば形を作りましょう。
そうだな、それはきっと透明でキラキラと光っていて何にも負けないくらい硬い。
ダイアモンドに似ている。

まあ、祈るたびに零れるダイアモンドをマグカップに受け止めて、
「これが祈りの結晶ですよ」と差し出したところで、
口から出たものなんているか馬鹿!と言われるのがオチなんですけどね。
posted by 6 at 14:52| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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